誰も置いてけぼりにしない◯づけの精神

算数で「3+4は?」という問いに対して、お子さんが「8」と答えた。
「ラシド」と記された譜面に対して、お子さんが「ラドレ」と弾いた。

通常では「違うよ、答えは7だよ」「楽譜はラシドだよ」と教えます。
もちろん、それが正解ですが、回答を導き出す過程に◯をつけるという信念を大切にしています。
「3+4は?」「8」この答えの瞬間、聞いたあなたはどんな顔をしましたか?
あ、違う!と曇った表情、怒った表情を出していませんでしょうか?

「3+4は?」「8」「そっか、すごいね!よく答えが出てきたね!」
一旦は答えを受け止め、その後、正解にたどり着くまでのお手伝いをします。
この共感、受容、受け止めるあり方を「◯づけ」と呼んでいます。

「ラドレ」「ちがうよ、ラシドでしょ?よく譜面を見て!」
ピアノ教室では普通にある光景です。◯づけをするとどうなるでしょうか。

「ラドレ」
「よくできました!今弾いた音について、どう感じた?」
「なんか落ち着く感じがした」
「そう、落ち着く感じがしたんだね。その感覚は合ってると思うよ!」
「そうなの?どうして?」
「ラドレは俚謡唱法って言って、日本の童謡なんかでよく使われている音階なんだよ」
もしかしたら、こんなふうな会話が生まれるかもしれません。

学校教育、リトミック、あるいは催眠もそうです。
従来行われている指導は、正解を教えて、その通りにやらせることと言えるかもしれません。
本来その意図がなかったとしても、無意識に先生がそうしてしまいます。
「生徒にとって最大の指導者は、未来の理想の自分自身である」
あくまで先生はガイドであり、答えは必ず自分で導き出すようにする。
ちょっとした言葉や態度のちがいですが、お子さんが受ける印象や気持ちには大きな差が出ます。
教える内容は同じでも、どのように伝え、どのように考えてもらうかーこの過程を、先生と生徒、両方で楽しんでいきたいと考えています。

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