イソップ寓話(ぐうわ)のお話のひとつ、嘘をつく子供というお話があります。
オオカミ少年のお話…といえば、ピンと来ますでしょうか。
来る日も来る日も「オオカミが来たぞー!」とウソをついていたら、ある日本当にオオカミが来て、助けを呼んだものの誰も来てくれず、羊が食べられてしまうというお話。
このお話のよくある教訓は、嘘ばかりついていると、誰も信じてくれなくなるだと思います。
今回は、その教訓とはまた別の解釈から得られる解釈、それに対する想いなんかをお話をしたいと思います。
オオカミ少年効果
災害の多い地域で避難勧告を出しても、実際に災害が起こらないことも多いようですが、何事もなかった回数が多くなると、情報の信頼度が低下し、情報を受け取っても住民が避難しなくなる。
この現象をオオカミ少年効果と言うそうです。
昨今、北朝鮮がミサイルを連発していますよね。Jアラートが鳴ったとき、はたしてどのくらいの人が、毎度避難を行うでしょうか。…といっても、発射されてから、人の足で射程外に避難できることはそう多くないので、来てしまったら諦めるという方が大半かもしれません。
あなたは、どんな対応をしますでしょうか?
少年が食べられてしまうアナザーストーリー
イソップ寓話では羊が食べられてしまう結末ですが、いくつかの絵本には、少年が食べられてしまうお話もあります。
少年が食べられてしまうお話から得られる教訓は、因果応報…でしょうか。悪いことをしたら全部自分に返ってくる。自業自得、といったところでしょうか。
現実世界では、一部の過激左派の方から見る、安倍元首相の暗殺事件と同じ話と思うかもしれません。何度も平気で嘘をつく、日本を悪くする政治、だから殺された。当然の報いだ。
個人的には不謹慎極まりないし事実無根だと思いますが、そう見える方も一定数いらっしゃるとは思います。
羊と少年、食べられたもののちがい
さて、羊が食べられた場合と少年が食べられた場合、それぞれ村の後日談や村の人たちの心理状態を少し考えてみたいと思います。
羊が食べられた場合
多くの羊を失ってしまったことで、村はたくさんの財産を失い、少年は立ち直ることができなくなるでしょう。
少年は、ずっと村で蔑まれながら生きていくかもしれませんし、別の村へと住まいを移して、得た教訓をもとに更生して生きていくかもしれません。
おそらくですが、大事になるような嘘をつくことは、しばらくしないでしょう。
少年が食べられた場合
オオカミの襲来で、オオカミが来た!本当に来たんだよ!ーそう叫ぶ少年。
「アイツ、また言ってる」そう言って仕事の手を止めず、そのまま続けた人もいたでしょう。
あるいは、何人かで一緒にいた人たちは、こんな会話をしているかもしれません。
「どうせまた嘘だろうな」
「まぁ嘘だろうけど、本当だったら大変だよね」
「今まで1回も来たことないんだし、どうせまた何事もありませんでしたーって帰ってくることになるだけでしょ」
少年が食べられたあと、村人たちはとても後味の悪い感じになるでしょう。
グループの人たちは、「だから助けに行けばよかったじゃない!」「そう言いながらも、結局お前も行かなかっただろうが!」と責任のなすりつけ合いを始めるかもしれません。
村の人たちの関係性に亀裂が入り、何か深い闇を当面与え続けるような気がします。
そう、まるで少年の亡霊に取り憑かれたかのように。
それぞれの結末からの後日談、あなたはどう思いますでしょうか。
そもそも少年はなぜ嘘をついたのか
いずれの結末も思うことはたくさんありますが、ではそもそも、なぜ少年は嘘をつき続けたのでしょうか。
お話の中では、退屈だから…といった描写があります。自分の仕事を退屈だと思うこと、まぁ誰でもあると思います。
そんな中、どうして少年は嘘をつく行動に走ってしまったのか。
ひとつは、寂しかったと考えられるかもしれません。
またあるいは、嘘をつく出来事が起こるまでの、村人の少年への接し方にも問題があったかもしれません。
もしもずっと村のみんなに相手にされていなかったら…そう思うと、僕ももしかすると大声でオオカミが来たぞーと叫んでしまうかもしれません。
もしそうなら、少年の自業自得とは言えないですよね。
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