自己肯定感
あなたは、自己肯定感が高いですか?低いですか?
その問いに対して、低いと答える人が、おそらく自己肯定感について悩んでいるのかと思います。
低いと感じる要因は人それぞれ。
- 誰かに比べて、能力的に劣っている
- 何をやってもうまくいかない
- 自分の気持ちに正直になれない
自己肯定感が低いことによって、生きにくいと感じたり、自分に自信が持てないと感じたりするかもしれません。
その解決策として、自己肯定感を上げよう!と様々な努力をするかもしれませんし、低いまま生きていくことを選択するかもしれません。
今回のテーマは、自己肯定感について。
かくいう僕も、低いことにずっと気がつかず、「僕すごいもん!」な言動を繰り返していた人です。
今はというと、ある出来事がきっかけで、低かったからこそできたことに対して誇りを持つことができました。
そして自己肯定感の高低という囚われから抜け出すことができたと思います。
加えて、高くても低くてもどちらでもいいものだねと考えるに至ったと思います。
ぜひ、自己肯定感が低くて悩んでいる!という人の参考になればと思います。
- 自己肯定感が低くて困っている人
- 自尊心がないと感じている人
- 自分の存在意義を見出したい人
そもそも自己肯定感とは?
生まれ育った環境、家族構成、現在の仕事、自分の能力…人によって、自己肯定感が低いと感じる要因は様々です。能力が低いと感じている、自尊心がない、存在する意義が感じられない…とても多種多様にあると思います。
もしかすると、ある程度の定義づけが必要かもしれません。
そこで、Wikipediaで自己肯定感のページを開いてみると、研究者による定義の多いこと。どう定義しようか、悩んでしまいますね。
ただ、今回ご紹介するものは、能力なり存在価値なり、自分の何かが低いと感じている人全てに効果的なものかと思います。よって、自分のことを低いと思っていて、困っている人ーこのくらい抽象的でもいいと思っています。
自己肯定感が低いことによる問題
比較による解釈
まず、低いと感じているということ、それはつまり、何かと比較しているということ。自己肯定感の高い人であれ低い人であれ、他の人と比較する機会はあるでしょう。
比較するだけなら問題にはなりません。
比べたうえで、出した答え・解釈に対して、不安や嫉妬を感じた場合に、自己肯定感が低いという判断を下すのかと思います。
そして、比較して不安や嫉妬を感じることで、精神的に不安になるーこれが1つの問題と言えるのではないでしょうか。
育った環境
幼少期に、家族からの振る舞いなどで低くなった場合もあるでしょう。
親が厳しく、いつも怒られていた。家族の誰かが優秀だった。立ち直れないほどの大きな失敗の経験がある。
もしも、自分が何かに秀でていて成果を出していたとしても、怒られたり、もっとすごい人がいると、自分はまだまだだと思ってしまうのは仕方のないことかと思います。
承認欲求
上記の2つも要因になり得ると思いますが、低い・劣っている・必要ないと思うからの、自分のことを認めてもらいたいという思い。そこから生まれる依存であったり、高く評価されたいという思い。からの、人から嫌われないための行動。
承認するのは他者であるがゆえ、自分に決定権はない。決定権が相手にあるからこそ、自分は低いと感じる。
自分は承認されたい思いが強い反面、相手は承認している・していないについて、そこまで深く思っていないもの。そのギャップも、さらに自己承認を迫るきっかけになり、悪循環になってしまうこともあるでしょう。
自己肯定感を上げる取り組み
自己肯定感を上げようとする
自己肯定感が低いのであれば、高くしよう!と思うのは自然なことかもしれません。
もしも自己肯定感の低さを解消するのであれば、原因は人それぞれ違うので、本やネットの知識で根治させるは難しいと思います。
世間一般的にありそうな取り組みは、次のようなものがあると思います。
成功体験を積む
自信がないのは、成功したことが少ない、もしくはそう感じているからかもしれません。
よって、小さな成功を積み上げていくことは、とても大事な習慣であると思います。
成功体験を積み重ねていく中で、もしかすると成果を上げたり誰かに褒められたりして、自己肯定感が上がるかもしれません。
一方で、成功体験を積む中で、できる人と比較し続けて、やっぱりできる人には…と、かえって不安になることもあるかもしれません。
やらないよりは、もちろんチャレンジしたいです。
でも、チャレンジすること、チャレンジし続けること自体、勇気もいるし労力もいる。根気もいる。
最も最悪だと思うのは、やらないから低いんだ!と強要される場合。主体性も育たない、現在の自分を全否定、ダブルバインドに陥る可能性大です。
成功体験を共有する
代理体験という言い方もすると思いますが、誰かの体験を共有してもらい、「自分にもできそう!」と思うことです。
ハマれば、モデルとなった人と同じようになれるかもしれません。
一方、能力や環境は人それぞれ、同じようにやってもうまくいかないこともあるでしょう。
もしもうまくいかなかった場合、自己肯定感の低さはより強化されてしまいます。
自分のいいところに焦点を当てる
美点凝視と言いますが、悪い部分ではなく、いいところを意識的に見つめましょうということ。
これは、自分であれ他人であれ、悪い部分を見ているよりは良い部分を見ている方が、精神的にはいいでしょう。
一方、悪い部分を意識的に見ないようにしたところで、その短所は解消されたわけではありません。
自分はクセ毛だが優しい性格が持ち味だ。優しい性格に焦点を当てればいいんだ!…とは言うものの、おそらくクセ毛は気になるでしょう。クセ毛が悪い部分と解釈しているうちは気になってしまうものです。
見方や解釈を変える
心理学的にいうとリフレームと呼ばれる手法があります。物の見方や解釈を変えることで、自分の中の感覚を変えるというものです。
コップの水の話が有名かもしれません。コップの中に水が半分あるとき、もう半分しかないと思うのか、まだ半分あると思うのか。
これだと自分の中の感覚が変わったと言いにくいので、自分ごとの何かにたとえ直しした方がいいと思います。
例えば身長が低いとカッコよくない、でも相手に威圧感を与えない。
低くて惨めから、相手を安心させるに感覚が変わっています。
とても有効な手法ではありますが、強いていうなら、意図的であるかどうかがポイント。
意図的であるということは、少なくとも自発的に行動しているということ。自己肯定感の低い人の特徴とも言える、相手主体な状態からは進歩していると言えます。
ただし、意図的に変えているのであればゴールはまだ先。変えるのではなく、変わるのが本来のゴールにたどり着いた形だと考えているからです。これは後述します。
自己肯定感を上げる取り組みに共通して言える問題点
例として、成功体験、代理体験、美点凝視などを挙げました。
これらは全て、苦しんでいる問題から抜け出そうとする姿勢は取れていると思います。
しかし、共通している大きな問題を1つ挙げるとすると、悩んでいる今の自分、すなわち自己肯定感の低い自分を否定している点です。
低いから高くしよう、悪いから良くしよう、依存をやめて独立しようーどれも素晴らしい決断ですが、全て現在の低いと思っている自分を否定している前提があります。
想像してみてください。親から「お前は悪い子だ」と言われ続けている子。悪い子だ、悪い子だーそう言われている子が、いわゆる良い子になるには、どれだけ大変であるか。
今の自己肯定感を低いと思っている自分=よくない自分と定義しているうちは、改善を試みようが、そのまま生き続けようが、しんどいことには変わりないと思います。
自己肯定感は上げようとしなくてもいい
自己肯定感が低いメリット
低い自己肯定感は悪いことであるという前提があるから、低いことがダメになってしまう。
もしも自己肯定感の低さに長所があるとするならば、その前提はどうなりますでしょうか。参考までに、僕にはこんな体験がありました。
認めてもらいたい!
これでどうだ!これでもか!これでもか!これでもかー!
と必死にやり続けてきたおかげで、発声診断書®︎などのサービスを生み出すことができた。
めげなかった自分も自分ですが、もしも中途半端に承認しちゃう人だったら、多分作れなかったと思う。あと、劣っているという悔しさを跳ね返そうとするエネルギーも凄く多かった気がします。
自分はやって当たり前、相手がしてくれるととてもありがたいの感覚。相手からすると、無償でやってくれているように見えるみたい。お願いするのが今でも苦手で。全部自分でやっちゃう。いろんなことが満遍なくできるというのも、この感覚のおかげかも。
低くて辛いと思っていた時期は、悲劇のヒーローっていうわけではありませんが、他の人と同じことをやっても、自分の方が劣っていると感じてしまうーこれはなかなか辛かったように思います。
そして気づけば、あれ?僕ってやっぱり凄くね?という成功体験を数多く積めたーとは言っても、厳密には結構積んでいたにも関わらず、そんなの当たり前と思い込んでいたから積んでいないと思っていたんですけどね。
自分は劣っていると思い込んでいたからこそ、それを克服しようとさまざまなことに一生懸命になれた。これは、誇りを持って言えます。だって、それだけ苦しいと思ってきたわけですからね。
もしも言えない場合は、本当にやっていない(笑)か、自分のやってきたことを成果として気づいていないだけなのかもしれませんね。
自己肯定感がどうでもよくなった出来事
こちらも参考までになりますが、僕が自己肯定感の高低という土俵から降りるきっかけになった出来事を紹介します。
あるとき、母親に「僕にとって、おかんはこだわりの強い人って感じやねんけど、おかんにとって僕ってなんなん?」と泣きながら聞いたときでした。なぜそうなったかは省略します(笑)
僕の自己肯定感の低さの要因の1つになっても仕方のない、おかんの凄さとずっと比較し続けていたことから由来する質問でした。
母は「あんたの私の子どもだよ」と返してきたので、「そうじゃなくって、僕っていう人間をひとことで…」
「うるさいわね、あんたは私の子どもだよ」
言い切ったんですよね、おかん。このときハッとしました。僕は自分と母親を比較していたのに対して、母は僕を比較対象としてすら見ていなかったということに。
誰かと比較しているかどうかなんて気にしていませんでしたが、このやりとりで、あぁ僕はずいぶん誰かと比較していたんだなぁと感じました。
そして、尊敬する母は比較しない人だ(ほんとはそんなことないでしょうけどね)、だから僕も比較しなくていいんだーそう思ったのでした。
それからというもの、比較しなくなってからか、「あれ?僕って結構凄くない?」と感じるようになり、以後自分のできることを認めることができるようになりました。
自己肯定感との向き合い方
自己肯定感は身長の高い低いと同じ
よく、自己肯定感は身長の高い低いと同じだよとお話ししています。高い方がいいみたいな一般的なイメージはあるかもしれませんが、低い人の方が相手に威圧感を与えにくいなどの利点もあります。
もちろん、身長による制限…ジェットコースターもそうですし、170cm以上しかプロの力士になれないなどはありますが、身長によって、人としての価値が変わるかと言われれば、そんなことはありません。
ではここで、身長の高低によるモテ度について考えてみたいと思います。
身長が低いとモテないか?…20世紀はそんな時代もあったでしょうが、今ではそんなことないですね。
「身長が低い」が悪いわけではなく、「身長が低いとモテないと思い込んでる/過去に比べられた時の解釈」などが今もひっかかっているのかもしれません。
そもそもですが、身長が低いからモテないって、身長の高低で好かれるかどうかの恋愛フェーズってかなり前半ですよね(笑)
これも同じだと思います。自己肯定感が低いとモテない?そんなことないです。人の苦しみを分かってあげて寄り添う力とか、過去の僕のように承認されるために生み出していたエネルギー量がすごいかもしれません。
自己肯定感が低いからどうこうっていうことも、本来なくなっていけばいいですね。
高い低いを気にしているうちは何も変わらない
改めて、話を身長に戻すと、モテるかどうかについて、身長の高低を気にしているうちは、話にならなくないですか?
美人でさえ、結婚したら1年で飽きるって言われていますしね。
それと同じで、自己肯定感が高い・低いを気にしているうちは、何も変わりません。
気にするな!というわけではなく、気にならなくなるのが理想です。
身長は伸ばすものでなく伸びるものーこれと同じで、
自己肯定感は上げるものでなく、上がるもの。
高かろうが低かろうが、何も問題ない。
そして、上がった先は、どうでもよくなる。ずいぶん囚われていたなぁと気づく。
低いと思っていた時期がもったいない?そんなこともない、低かった経験をしてきたあなたは、人の苦しみを分かる人であるし、何かに一生懸命がんばれる人になっているかもしれない。
自己承認は難しいことではない
ここまで自己肯定感は高かろうが低かろうが何も問題ないというお話をしてきました。
自分を高めなきゃ、もっと変わらなきゃの第一歩は
「変わらなくても何も問題ない」と気づくこと。
全ては、悪いと感じている思い込みが原因ではないかと思います。
そういった意味では、自分を承認することがポイントかと思います。
承認するのが難しい、思い込みをなくすのが難しい?そう思うかもしれません。
自己承認は英語にすると、セルフ・レコグニション。言い換えていくと、セルフ・イメージです。
イメージって、変えられそうですか?
多分変えられそうですね。
あくまで自分のイメージです。自己肯定感なんて。
そして、周りに自分のことを受け止めてくれる、承認してくれる人がいると、なおイメージがより変化するかもしれませんね。
長くなりましたが、自己肯定感について、ひと通り書いてみました。長文お付き合いいただきまして、ありがとうございます。
もしも、もっと学んでみたい!という方には、ニュートラルベースNLP®︎の講座がおすすめです。ぜひご検討ください。
コメント