主体者とそうでない人のマインドの違い
みなさん、こんにちは。ボイスカルチャー®︎の加藤寛理です。
この記事を執筆している令和5年度頭は、統一地方選挙の選挙戦が始まった頃です。政治は興味のある方ですが、政治的中立を保つ立場にあるため、特定の政党に肩入れせず、政治的思想の左右も少し離れたところから俯瞰・傍観しています。
そんな立場ではありますが、政治家のみなさんは素晴らしいなと思う時が多々あります。各々が政党や個人の思想・信念に基づき政策を実行する。法治国家であるゆえ、法律や条例の制定を行う。しかし、良い法ができても当たり前のような反応をされ、少しでも気に食わないと文句を言われる。その言われ具合は、人権ってあるのかな?と疑ってしまう表現の多いこと。
僕は絶対に政治家にはなれません。本当に政治家の方には頭が上がらないです。
さて、そんな僕ですが、ここ最近の政治的なニュースで、3つほど注目していました。
- ガーシー議員の参議院議員除名と逮捕状
- 放送法に関する追求(いわゆる小西文書)
- 不正会計疑惑から始まったColabo問題
それぞれの主体者の言動を心理的観点から分析したところ、3つのニュースの共通点がありました。
分析内容を紹介しつつ、経営者やプロジェクトリーダーなどの主体的立場にある人は、上記の出来事のような結末にならないようにするための心の持ちようについて、少しお話しさせていただこうと思います。
3つのニュースの要約
知らない方もいらっしゃると思いますので、各ニュースの概要を少し記載します。
ガーシー議員の参議院議員除名と逮捕状
芸能人の暴露話を中心に活動されていたガーシーこと東谷義和氏。
芸能界に広い人脈を持っておられますが、YouTuberのヒカルさんとの一件から、芸能人の暴露をする活動を始められました。城田優さん、綾野剛さんをはじめ、暴露された人は数多くいらっしゃいます。中には仕事がなくなったり、活動を自粛されたりする人が出てくるほどの影響力が持ち合わせていました。
そして、2022年の参議院選挙でNHK党の比例候補として立候補されました。選挙公約で「当選しても登院しない」と明言しながら当選。その後も公約通り登院せず、ドバイに滞在して暴露を続けました。
しかし、日本に帰国せず議員としての職務を全うしないのは税金泥棒だという世論も多く、参院本会議で2023年3月に国会で陳謝することになっていましたが帰国せず、とうとう本会議にて3/15付で最も重い処分である除名になりました。
そして翌日、これまでの動画暴露による暴力行為等処罰法違反として逮捕状が出されました。母親の住む実家に家宅捜索が行われた際、涙ながらに「頼むからオカンは勘弁してください」と訴えました。
放送法に関する追求(小西文書)
2023年3月から、高市早苗経済安全保障担当大臣に対し、小西洋之参議院議員が「政治的公平」の解釈について、当時の総理補佐官と総務省との間のやりとりに関する一連の文書(通称:小西文書)を国会で取り上げました。安倍政権下において、総務大臣時代、政府に批判的な内容に対して圧力をかけたという主張、行政文書に捏造が含まれているかどうか、レクがあったかどうか、…あとはすみません、色々とゴールが変わりすぎてその後どういう流れだったか分からなくなるほど、とにかく高市早苗大臣の議員辞職を着地点に進行した印象がありました。
その間、小西議員は攻撃の手を緩めませんでしたが、もともと使用される言葉の表現が強すぎる部分(万死に値する、喧嘩を売るとはいい度胸だ など)が仇となり、いわゆるサル発言が原因で参院憲法審の野党筆頭幹事の役を解任。事実上の更迭となりました。
不正会計疑惑から始まったColabo問題
虐待や性被害などを受けた少女たちの支援として、仁藤夢乃代表が学生団体Colabo(のちに一般社団法人化)を立ち上げ、活動をされていました。
2018年に、バスカフェをオープン、2020年に自民党の視察の対応がニュースとなり、その存在を知った人も多くいたと思います。
今回の事件の発端は、仁藤代表が温泉むすめに対してSNSで発信したコメントでした。温泉むすめが好きだった暇空茜さんが、そのコメントを不快に思い、仁藤代表とColaboを調べ始めたところ、決算書に不可解で不正疑惑のある項目を発見し、追求および委託元である東京都へ住民監査請求が行われました。
その後、誹謗中傷・デマを拡散したとしてColabo側も応酬するも、事態はエスカレートし、東京都福祉保健局がColaboへの支援を休止することを発表しました。
仁藤代表も、使用される言葉の表現が強すぎる傾向があり、辺野古基地反対活動に被害女性を連れて行く、キモいおじさんシリーズの動画を上げるなど、モラル的にグレーな部分も散見されます。
主体者の共通点
3つの出来事のそれぞれの中心人物(ガーシー元議員、小西議員、仁藤代表)に共通して言えること。
特定の誰かに対して、恨みを買ってしまうような言葉の表現を行ったことと思います。
それぞれが主体者となって、自分の信念に基づいて行動しているという点については、目を見張るものがあると思います。なかなか真似のできないことだと思います。
その反面、本人たちの主張が正しい・正しくないという点はおいておき、もうちょっと他人を攻撃するような表現はやめた方がいいのでは?と多くの人が感じたのではないでしょうか。
国語辞典的な意味における主体者の対義語
と、ここで、主体者という言葉を少し掘り下げてみたいと思います。
主体者とは、自覚や意志に基づいて行動したり作用を他に及ぼしたりする人のこと
積極的に、自らの信念に基づいた行動をされているお三方は、かなりの主体者と言えるでしょう。
では、主体者の反対とはなんでしょうか。
主体の反対は客体、主体性の反対は受動性。
主体者の場合、一般的には主体となって動かない人のことなので、第三者、すなわち傍観者あたりが適当ではないかと思います。
心理的な意味における主体者の対義語
国語辞典的には傍観者になるかと思いますが、心理的な意味では異なります。
心理的な意味における傍観者の対義語は、被害者です。
仮に自分がとった言動に対して、ご意見・クレームがあったとします。
主体者は、自分の考えや判断をもとにして行動するゆえ、言いがかり等は除いて、原因は自分自身や周りの何かであることに気が付きます。その結果、一時は苦しい状態が続きますが、他人の意見を受け止めて改善を行えるがゆえ、最終的には丸く、楽になりやすいという傾向があります。
一方、被害者は、ご意見・クレームは言いがかりと同じ。他責が前提なので、原因は自分にはなく他人にあると捉えます。その結果、悪意あるものから自分が貶められようとしている(だから被害者)と捉えます。よって、いつまで経っても他人の言葉を悪意あるものと受け続けることになります。
主体者:原因は自分 → 一時は苦しいが楽になりやすい
被害者:原因は相手 → 他責なので一向に楽にならない
知らない人からこんなに言われて、なんて私はかわいそうなのだろう。自分は間違っていない、絶対正しい。間違ったことをしつこく言ってくる人には法的措置も辞さない。
そう、被害者は、自分の中で解釈を変えないと脱却できません。このマインドから、ずっと抜けられなくなります。
そういった意味では、ガーシー元議員が実家の家宅捜索の際に流した涙は、完全に被害者であれば、流すことはできないものです。自分が暴露してきた関係者の立場も理解できたでしょうし、脱却の契機なのかと感じたりします。
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