されて嬉しいこと、されると嫌なこと
突然ですが、ちょっと想像することはできますでしょうか。
誰かにしてもらって嬉しかったことを思い出してみてください。さて、どんなことがありましたでしょうか?
それは、困っていたところを助けてくれたことかもしれませんし、素敵な贈り物をしてもらったことかもしれませんね。
反対に、されて嫌だったことについても思い出してみてください。どんなことが嫌だと感じましたでしょうか。
それは、面倒なことを押し付けられたことかもしれないですし、見たくない・聞きたくないことを知ってしまったことかもしれません。
もちろん、嫌なことはされずに嬉しいことをされるのが望ましいとは思います。
しかし、人の数だけ育った環境もあれば価値観もある。誰しもが自分の思うように動いてはくれません。
だからこそ1人1人が、相手の嫌がることをできるだけしないように、そして喜んでもらえることを心がけれるといいですよね。
自分がされて嬉しいことを他の人にするはダメ
…と、多くの方が「そうですよね」と思いそうなことを書いてみました。自分が嫌がることは、相手にもしないーこれは倫理的と表現しますが、まぁしない方がいいでしょう。
しかし、自分がされて嬉しいことを相手にもしようーこれは道徳的と表現しますが、
相手のことを知らないで行うのは全くの論外です。
例えば、犬好きな人が、犬を怖いと思っている人、あるいは犬の毛のアレルギーを持っている人に「ほら、かわいいよ!ほら!ほら!」…ダメですよね。
声援をくれると本領を発揮できるものだと思っている人が、別の人に声援を送ったら、「静かにしてよ!集中できないでしょ!」…確かにそういう人もいますよね。
自分がされて嫌なことは相手にしないーこれは、相手も嫌がる可能性が高いでしょう。もちろん、何とも思わないこともあります。
しかし、やらないに越したことはありません。しないのが無難。
ましてや、されて嫌なことを相手にするとなると、それだけで言動不一致にもなりますしね。
そして、自分がされて嬉しいことを相手にもしてあげるーこれはもちろん喜ばれることもあるでしょうが、嫌がる場合もあります。余計なお世話と感じることもあります。「何だよ!せっかく喜べるようなことをしてあげたのに!」なんて思っていたら、それは全くの見当違い。相当タチが悪いです。
他人は自分の写し鏡
前回、他人は自分の写し鏡という記事をアップしました。
自分が嬉しいと感じることは、自分の中にある価値観がそう感じさせています。そして、人の数だけ価値観があるので、どう思うかは人それぞれでしょう。
自分がされると嫌なこと=倫理的なことは、ある程度の経験で身につくでしょう。日本で生活しているなら特に、です。
しかし、自分がされると嬉しいこと=道徳的なことは、他の人に良かれと思って行っても、そうでもないこともあるー経験で賄える部分もありますが、かえって経験が邪魔することさえあると思います。
相手がされると嬉しいことは、事前に聞くなり、実際にされてみた感想を聞くなど、会話を通じて確かめるほかありません。
- 倫理は経験で身につける
- 道徳は会話で身につける
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